主に1983年〜1985年の京王線車両の写真です。グリーン車の写真は「グリーン車たちの黄昏」に、同時代の井の頭3000系の写真は「ステンプラの色彩」にそれぞれあります。また現在の京王線車両の写真は「チェリーとブルーの共演」、2色帯化後の6000系の写真は「メモリアル[6000系]」にあります。
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1963年〜1969年に155両製造されました。一部の初期の車両はグリーン車から制御装置や主電動機、台車などを流用しています。1968年には関東私鉄の通勤車両として初めて冷房を搭載しており、初期車を除く車両も冷房化改造が施されました。
1979年の武蔵野台の踏切事故でクハ5871が廃車になり、154両になりました。1986年に非冷房の釣掛車から廃車が始まり、1996年12月1日のさよなら運転で全車引退しました。一部の車両は伊予鉄道、富士急行、一畑電鉄、高松琴平電鉄、わたらせ渓谷鉄道に譲渡されています。
5125Fはデト210型の後継として1995年3月に事業用車に改造されました。
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京王線初の20m車で、1972年〜1991年に304両製造されました。1972年製の1次車は5000系とほぼ同性能な電制車でしたが、1973年製の2次車から界磁チョッパ制御の回制車になりました。当初は急行、快速運用に充当されていましたが、1975年8月には8両編成で平日の特急運用に、翌1976年から休日の分割特急運用に入るようになりました。1980年3月には都営新宿線への乗り入れが始まりました。以後12年ほど主に優等系列車に充当されていました。
最終増備車である1991年入線の5扉車(6021F〜6024F)は車番が丸文字になりました。この後、他の6000系の車番も丸文字に交換されていきました。
1998年に初期の電制車から廃車が始まりました。他社に譲渡された車両はありませんが、上毛電鉄700系には制御装置が、松本電鉄3000形には運転台機器が流用されています。
2004年11月にデワ5125の代替として6007Fがデワ601に改造されました。そして2009年10月に6416Fの帯が2色帯から臙脂帯に戻りました。
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京王線初のステンレス車で、1984年〜1994年に190両製造されました。当初は5両編成で各停運用に入っていましたが、1986年増備車から8両編成になり、それ以前に入線した編成も6両ないしは8両編成になりました。1987年製の7021Fからビートプレス外板の車体となり、優等系列車への充当を考慮して側面上部にも帯が入りましたが、後に撤去されています。後年、前面がアイボリーホワイトになりました。
1990年代中頃から優等系列車に充当されるようになりました。
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1995年3月に5125Fから改造、チキ291と292の2両を挟み活躍しました。2004年8月1日のレール運搬を最後に引退し、その役割を6007Fから改造されたデワ600系に譲りました。そして2004年11月14日に若葉台で「メモリアル5000系撮影会」が行われ、12月に解体されました。
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「Oka Laboratory 備忘録」の5000系関連の記事の一覧です。このページにはブラウザの[戻る]ボタンで戻ってきてください。
記事名 | 日付 | 編成 |
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京王れーるランドのリニュアル | 2013.06.06 | クハ5723 |
終夜運転と特急迎光号 | 2012.12.23 | 5022F+5023F |
富士登山電車 | 2010.08.25 | 5118F → 富士急1205F |
京王資料館特別公開【2009年】 | 2009.04.05 | クハ5723 |
京王資料館特別公開 | 2005.07.25 | クハ5723 |
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